コラム一覧

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笠井叡 舞踏をはじめて <7>

『バラ色ダンス』に続き、土方巽の『性愛恩懲学指南絵図、トマト』に出演。1966年7月、新宿紀伊國屋ホールで開催された。 『性愛恩懲学指南絵図、トマト』は当初『神々の恩寵』というタイトルになるはずでした。けれど土方さんが「神に対する恩寵というのはあまりいいとは思わない。“寵”は“懲らしめる”の方がいい」と言って、最終的に“恩懲学”に変えています。 作品の発端になったのが、ルネ・ホッケの『迷宮としての...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(37)

詩を身体に置き換えていく 創作のため、Noismの拠点・新潟に滞在しています。まず最初にワークショップを行い、同時にキャストを決めていきました。キャストに選んだのは、金森穣さん、井関佐和子さん、青木尚哉さん、宮河愛一郎さん、山田勇気さん、藤井泉さん、中野綾子さんの7名です。 穣さん、井関さんはNDT時代からの知り合いで、青木さんとも何度か一緒に仕事をしたことがありました。当時Noismは設立後まだ...



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笠井叡 舞踏をはじめて <6>

1965年、21歳のとき土方作品『バラ色ダンスーA LA MAISON DE M.CIVECAWA(澁澤さんの家の方へ)』に出演する。 私はパンツに白塗りの格好で、透明のビニールホースを口にくわえ、それを吸いながら床に叩きつけるという踊りを石井満隆さんと二人で踊りました。土方さんの中に“物を消す”というテーマがあって、私たちの踊りは“胎児が物を消していく”というイメージだったようです。 土方さんは...



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笠井叡 舞踏をはじめて <5>

『あんま~愛欲を支える劇場の話~』で目にした土方は強烈だった。その興奮も覚めやらぬまま、同年12月、土方と会う。 『犠儀』の2ヶ月後のことです。大野先生のお宅にいたら、やたらと目つきの悪い男が廊下の向こうからやってきた。ヤクザが来たかと思ったら、大野先生が「土方さんです」と紹介してくれた。それが土方さんとのはじめての出会い。土方さんは『犠儀』の噂を人から聞いていたようです。はじめて会ったとき、「君...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(36)

子育てをおえて 娘が18歳になったとき、あぁもう大丈夫だ、後は自由に自分自身で判断すればいい、という気持ちになりました。私自身18歳で親元を離れ、海外に出て、仕事も私生活も全て自分で決めてきた。親にはいつも事後報告でした。いろいろなことはあったけど、あっけなく母親が終わろうとしている感覚です。 子どもを産んで、子育てをして、気づかされたこともたくさんあります。 子育ての難しさに直面したとき読んだ本...



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笠井叡 舞踏をはじめて <4>

1963年、初のプロデュース公演『犠儀』の会を開催。大野一雄とはじめてデュエットを踊る。 『犠儀』を開催したのは、大野さんの稽古場に通い出してから半年後のことでした。30分ほどの作品で、朝日新聞社の6階にあった朝日講堂で踊っています。 私としてはこの作品でぜひ大野さんとデュエットを踊りたいという気持ちがあった。大野さんに「一緒に踊ってください」とお願いしたら、うれしいことに「いいですよ」と快く引き...



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笠井叡 舞踏をはじめて <3>

都立大学の飲み屋で耳にした噂話が、その後の人生を大きく変えた。1963年、19歳で大野一雄の門下生となる。 江口先生の稽古終わり、女性たちに誘われて、みんなで飲みに行くことになりました。そこで「すごく変わったおじいさんが天井から大きな牛肉の塊をぶら下げて、小指一本でつついてダンスをしているのを観た」と誰かが話すのを聞き、たいそう興味をそそられた。「それは誰?」と尋ねると、「大野一雄という人だ」と言...



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笠井叡 舞踏をはじめて <2>

小学校はむさしの学園に、中学受験をして中学・高校は山水学園に通う。かつて軍人学校の指定が入ていた学校で、現在は桐朋学園と変更。普通教育のほか音楽学校としても知られている。 吉川先生の影響もあり、中学・高校時代は演劇部に入りました。劇場にもたびたび足を運んでいましたが、私は大衆演劇のような作品はあまり好まず、文学座や俳優座を主に観るようになりました。芝居そのものだけではなく、舞台を通して社会がどう変...



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笠井叡 舞踏をはじめて <1>

1961年5月、江口隆哉・宮操子舞踊研究所に入門。モダンダンスのレッスンを受け、ダンスの道へ入る。 私がダンスの稽古をはじめたのは高校卒業後すぐ、18歳のときでした。都立大学駅近くにあった江口隆哉・宮操子舞踊研究所に通い、モダンダンスを習っています。そこから私のダンス人生がはじまった。けれどそれは自ら望んだ道ではなくて、母に背中を押されてはじめたことでした。 幼い頃から私は将来の夢というものを持っ...



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川口隆夫新作『バラ色ダンス 純粋性愛批判』インタビュー。

土方巽の『バラ色ダンス』(1965)をモチーフに作品をつくろうと考えたきっかけは? 数ある土方作品のなかで『バラ色ダンス』に着目されたのはなぜでしょう。 川口>土方の『病める舞姫』という著書を題材に、2012年から『ザ・シック・ダンサー』という作品を上演してきました。『病める舞姫』はテキスト自体がとても面白く、70年代に土方がつくる舞踏譜と関連があるともいわれています。土方は68年に『肉体の叛乱』...



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リアル動画で話題沸騰! 谷桃子バレエ団芸術監督・髙部尚子インタビュー <前編>

公式YouTubeが大きな話題を集めています。撮影をチャンネル登録者数138万人・ローランドの『THE ROLAND SHOW』制作で知られるソンDチームが手がけ、今年6月にリニューアル。『【批判覚悟】バレエ監督の告白……』と題した一番人気の動画は40万回再生され、大きな反響を呼びました。 髙部>この反響は想像もしていませんでした。「ローランドさんを撮っているチームが制作するのでバレエに興味がない...



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リアル動画で話題沸騰! 谷桃子バレエ団芸術監督・髙部尚子インタビュー <後編>

YouTubeの撮影を手がけているのは、チャンネル登録者数138万人・ローランドの『THE ROLAND SHOW』制作で知られるソンDチーム。彼らの制作条件は「包み隠さず全てを話すこと」で、実際YouTubeでは経営に苦しむバレエ団の実情が赤裸々に語られています。これまであまり公にされてこなかった日本バレエ界の影の部分でもありますが、そもそもどうしてこうした動画を配信しようと考えたのでしょう。 ...



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ル・グラン・ガラ 2023 マチュー・ガニオとドロテ・ジルベールからの贈り物 2023年7月31日より開催

豪華絢爛な、美の饗宴!バレエの殿堂、パリ・オペラ座バレエトップダンサーたちによる特別公演「ル・グラン・ガラ 2023」が7月31日より開催されます。今年の夏は、久しぶりにバレエのガラ公演が多数開催され、バレエファンは嬉しい悲鳴を上げていますが、どの公演を観たら良いのか迷っている方も多いはず。素敵な公演、海外からのスターダンサーが出演する公演はたくさんありますが、 「ル・グラン・ガラ 2023」は中...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(35)

インターは義務教育にあたらず!? 学校に通うのが難しくなったとき、まず通信教育を考えました。けれどいざ問い合わせると、“日本の義務教育を終えていない人は受け入れられない”と言われてしまった。愕然とし、大事なことに気づきました。娘の通うインターナショナルスクールは日本の文部科学省に認可されていないため、日本では義務教育を受けていないということになる。バカロレアを取って日本の大学に進学し、無事卒業でき...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(34) 

日本以上!? 熱心なオランダの教育制度 37歳のとき、日本に帰国しました。18歳でフランスに行ったので、日本で暮らすのはほぼ20年ぶりです。ちょうど桜が咲くころでした。それまで帰国するのは夏や冬の長期休暇と時期が決まっていて、こんなに桜はきれいだったんだと、日本の四季のうつくしさを改めて感じました。 日本に帰ってきた一番の理由は、やはり子どものためでした。オランダは4歳から教育がはじまりますが、そ...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(33)

“パーティーよ!”で自宅出産 オランダは自宅出産にかかわるシステムも整っていて、妊婦はまず2度ほど病院に行って医師からいろいろ説明を受け、さらに出産教室に10回程度参加する決まりになっています。 お医者さんには、まず知識をつけることが大切だと教わりました。自分の身体は今どういう状況で、次の段階でどういうことが待ち構えているか。薬を飲むこともできるけど、それにはどんな副作用があって、どんなリスクがあ...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(32)

子どもを産むか産まないか ダンサーのキャリア形成にはいくつかの道があり、壁もあります。私が思うに、NDT以外のカンパニーで踊ったことのないダンサーは、長くNDTにいる傾向がある気がします。NDT2でキャリアをスタートし、NDT1で踊り、NDT3に移り、バレエマスターになってーーと、定年退職までNDTとずっと関わり、そのままハーグに住み続けていく。一方、カンパニーを転々とするダンサーもいて、彼らは一...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(31)

アーティストの理想と現実の狭間で 『BLACKBIRD』の初演は2001年10月6日。本番に先駆け早々にさいたま入りし、劇場でリハーサルを重ねています。 当時私の姉が出産間近で、さらに地元に台風が上陸してと、実家が大変なことになっていました。私も日本にいることだし、公演の直前ではあるけれど、実家の様子を見に行った方がいいかもしれないーー。リハーサルが終わり、台風情報を見ようと夜ホテルの部屋でテレビ...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(30) 

NDT日本ツアーで NDT1在団中の1999年、彩の国さいたま芸術劇場で『One of a Kind』を踊っています。退団前の最後のツアーでした。その際、館長を務めていた諸井誠さんから「中村さんがひとりで踊るフルイブニングを上演しませんか」と声をかけていただいた。それが『BLACKBIRD』のはじまりでした。 けれどキリアンに打診をしたら、「女性がひとりで踊るそのような公演はあまり好まない」と言わ...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(29)

ローザンヌでコーチング 2006年のローザンヌ国際バレエコンクールでキリアン作品がコンテンポラリーの課題曲になることが決まり、私が参加者のコーチングを担当することになりました。現地入りする前に、まず具体的な課題曲の選定と、その資料作りをしています。女性用の課題曲に選んだのは『BLACK BIRD』と『One of a Kind』、キリアンがNDT2のためにつくった『27’52̶...



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