コラム一覧

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(28)

ヨーテボリとヘルシンキでクリエイション フリーになってまだ間もないころ、金森穣さんが『ダンス・サラダ・ヒューストン』(アメリカ・ヒューストンで開催されているダンスフェスティバル)から新作を頼まれ、そこにダンサーとして出演することになりました。穣さんは当時NDT2からスウェーデン・ヨーテボリ・バレエ団に移籍したころで、クリエイションのためヨーテボリへ行きました。カンパニーと一緒に稽古をし、穣さんとク...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(27)

キリアン作品を教えに  『Dream Window』の創作に取りかかっていた頃、並行してキリアン作品の振付指導の仕事をはじめました。 当初キリアン作品の振付指導者は3人いて、ひとりは東京バレエ団にも教えに来ていたハンス・クニールで、もうひとりがロズリン・アンデルソンというオーストラリア人の女性で、もうひとりはベルギー人のアルレット・ファン・ボーヴン。みんな元NDTのダンサーで、NDTのバレエマスタ...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(26)

退団後初作品で金賞受賞  2000年2月、ハーグのコルゾー劇場で『Dream Window』を発表しました。NDT退団の半年後で、フリーになってはじめて仕事として報酬をいただき、振付をした作品でした。 コルゾー劇場は小さいながらも興味深い企画を精力的に手がけている劇場で、公演を観に足を運んだり、私自身も仲間の作品にダンサーとして出演したことがありました。NDTの最後のNYツアーから戻ってきたときの...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(25)

キャリアチェンジをサポート NDTにはいわゆる退職金というものはありません。それに代わるシステムがふたつあり、ひとつがカンパニーを辞めてセカンドキャリアをはじめるまでの期間をサポートする制度。カンパニーを辞めた、次に何をしようと考えて、新しい道が見つかるまでだいたい6ヶ月くらい必要だろうということで、最後に受け取っていた月給とほぼ同じ額が6ヶ月間にわたって支給される。これは保険のように自分たちが掛...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(24)

退団のジンクス『One of a Kind』 『Bella Figura』と並び、私のNDT1時代の代表作となったのが『One of a Kind』でした。ただ『Bella Figura』はうつくしく受け入れやすい作品であるのに対し、『One of a Kind』はより哲学的で咀嚼するのに労力が必要だったりと、それぞれ作品のテイストは異なります。私の中で『One of a Kind』は一番重い作品...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(23)

初めての日本人として 私はNDTに入った初めての日本人でした。私の在籍中、NDT2に金森穣さんや井関佐和子さん、大植真太郎さんらが入ってきました。私がNDTを離れてしばらくして、小㞍健太さん、渡辺レイさん、湯浅永麻さんがNDT1に入団しています。永麻さんとは在籍期間はかぶっていませんが、オランダでは交流があって、私の子どもが小さい頃よくご自宅に招いてご飯をつくってくれたものでした。 私の退団後、日...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(22)

エリート中のエリート! ポール・ライトフット NDT在団中によくペアを組んでいたのが、ボーイフレンドのユーリと、『BLACKBIRD』で共演するケン・オソラ。そのほか、後に芸術監督になるポール・ライトフットともたびたび一緒に踊っています。私はキリアン作品のラストでロングドレスを着てゆったり踊るシーンに起用されることが多く、その相手役に背が高くて手脚の長いポールがキャスティングされることがよくありま...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(21)

労働時間外の創作活動 ワークショップで自作を発表するチャンスは希望者に与えられます。私が在籍していた頃は振付が盛んで、出品を望むダンサーが多くいました。ただ発表の場となるチャリティー公演は労働時間外のイベントなので、創作も労働時間外に行わなければなりません。振付をしたい人がたくさんいる一方で、自分の自由時間を割いて出演するというダンサーはある程度限定されていて、そうなるとひとりの人が何作品も掛け持...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(20)

修道院でプロジェクト 休日というのはカンパニーの仕事で疲れた身体を休めるためのものであり、リフレッシュするために使う、というのが大前提。オランダでは休みも含めた年13ヶ月分のお給料が出ることになっていて、休みの間は倍の月給が支給されます。休みの分もお給料を払っているのだからきちんと休んで欲しい、というのがカンパニーの言い分です。ただダンサーの中には休みを活用してNDT外で自分たちのプロジェクトをし...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(19)

ダンサー生命を救ったオハッド 腰痛に悩まされていたとき、大きな救いになったのがオハッド・ナハリンとの出会い。オハッドもヘルニアを患っていて、身体を動かすことで不調を克服する方法を研究してた。当時はまだGAGAとしてメソッドを確立する前で、彼が自分自身の訓練のために使ったり、クラスを教えるときに取り入れていたようです。 オハッドが創作のためNDTに長く滞在し、その過程で身体の使い方を教わったことで、...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(18)

ダンサーは三食キチンと! NDTは休みに関しても契約上細かいルールが決められています。休日は基本的に月6日で、週末の日曜だけ1日か、もしくは日曜と月曜の2日間。当時のオランダはお店の開店時間が朝9時から夕方の6時までで、日曜は閉まってしまいます。街によっては週に一回夜8時まで開いているところがあるものの、そうなると6時〜8時の間は長蛇の列。公演があると平日は買い物ができず、休みの日に私の車にみんな...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(17)

ダンサーが勝ち取ってきたルール NDT1には入団年齢の規定は特にありません。かつてはバレエ学校を卒業したての16歳でNDT2に入り、二年間の研鑽を経て18歳でNDT1に入るような人もいたようです。ただ私の時代はバレエ学校で学ぶことが増えたため18歳での卒業が通常となり、NDT2を経て20歳前後でNDT1に入る、というケースが多くなりました。カンパニーの体制にも変化があって、私がNDT1に入った年の...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(16)

オランダで暮らすということ 私たち外国人にとって、オランダはとても暮らしやすい土地でした。もともとオランダは植民地にしていた場所がたくさんあったため、外国人も多く住み、多民族の文化や生活が混ざり合っている。非常にリベラルな国で、多様な価値観が共存できる。 フランスにいた頃は、アジア人ということで差別を受けることもよくありました。街で買い物をしていても、後回しにされるようなことはしょっちゅう。きっと...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(15)

海外ツアーで世界を巡る カンパニーを世界中に連れていってあげたい、ダンサーに世界を見せてあげたい、という気持ちがキリアンの中に強くあり、実際当時は海外ツアーが頻繁にありました。カナダ、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、南アフリカ、ロシア、イスラエル、韓国、ニュージーランド、オーストラリア……。NDTの最盛期でもあり、世界中どこに行ってもNDTは大人気でした。 キリアンを筆頭に、ツアーはダンサーから...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(14)

キリアンの世界に魅せられて 今日の朝までなかったのに、今この瞬間つくられて、少しずつ作品が出来上がっていく。今までなかったものがここにある。けれど私が踊らない限り、作品はない。そこに魔力のように取り憑かれてた。どんなに若く駆け出しの振付家と仕事をしても、その時期はまるで恋をしているかのように魂を奪われたし、触発されるものがありました。とりわけキリアンとの創作はとても大切な時間でした。 振付家として...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(13)

ブーイングを全身で受け止める キリアンと創作ができるのはみんなにとってとても幸せな時間でした。彼はなぜあんなに素晴らしい作品を、あんなにも多くつくることができたのでしょう。やはり天才なのかもしれません。とはいえキリアンのつくる作品も全てが全て名作ばかりとは限りません。世界中のカンパニーでレパートリー化されているキリアンの振付作は、売れていった作品であり、いわば選りすぐりの名作ばかり。なのでキリアン...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(13)

ブーイングを全身で受け止める キリアンと創作ができるのはみんなにとってとても幸せな時間でした。彼はなぜあんなに素晴らしい作品を、あんなにも多くつくることができたのでしょう。やはり天才なのかもしれません。とはいえキリアンのつくる作品も全てが全て名作ばかりとは限りません。世界中のカンパニーでレパートリー化されているキリアンの振付作は、売れていった作品であり、いわば選りすぐりの名作ばかり。なのでキリアン...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(12)

ヨーロッパのシビアなダンス事情 オランダの場合、勝手に“ダンスカンパニー”を名乗ることはできません。例えばフリーランスで活動する場合、ひとつのプロダクションのために助成金を申請して公演を打つというのが通常のケース。そこからもう少し発展して法人化する場合、1年分、4年分、8年分の助成金と、長いタームの助成を申請します。カンパニーをつくって企業として成り立たせるためには、通年以上の助成金を獲得しなけれ...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵 (11)

総勢50名の大作でキリアンの創作初体験 キリアンの創作に初めて立ち会ったのは『Arcimboldo』。NDTの創立時からファイナンシャル・ディレクターを務めていたカレル・ビルニが亡くなり、彼への哀悼の意と、バレエ団創立35周年のためにキリアンが創作した作品でした。 ジュゼッペ・アルチンボルドは16世紀に活躍した画家で、遊び心に満ちた作品を描いた人物でした。彼の有名な作品に、細部が全て野菜で描かれた...



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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵 (10)

あざだらけの初舞台 NDT2に入って最初に踊ったキリアン作品は『Un Ballo』。私の入団前年にキリアンがNDT2のために創作した作品です。まずバレエマスターから振付を教わり、ある程度踊り込んだ頃、キリアンが仕上げにやってきました。『Un Ballo』に限らず、キリアン作品を上演するときは必ず最後にキリアン自身が仕上げにかかります。キリアンは今でもよく“形はできても、最後に魂を込められるのは振付...



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