Noism『Liebestod-愛の死』『Painted Desert』記者会見

4月26日、Noism芸術監督の金森穣さんと副芸術監督の井関佐和子さんが登壇し、新作『Liebestod―愛の死』/レパートリー『Painted Desert』の制作発表と、ルーマニア公演の報告会が開催されました。
ルーマニア公演の報告会に続き、『Liebestod―愛の死』/『Painted Desert』の制作発表をレポートします。

5月26日よりNoism1の新作『Liebestod-愛の死』とレパートリー『Painted Desert』がりゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館で上演されます。りゅーとぴあでの上演の後、6月に彩の国さいたま芸術劇場でもこの2作品は上演されます。

http://noism.jp/liebestod_pd/

『Liebestod-愛の死』は、金森穣さんの最新作で、リヒャルト・ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』より前奏曲と終曲「愛の死」を用いて創る作品です。もう一つの『Painted Desert』は、Noism2専属振付家兼リハーサル監督である山田勇気さんがNoism2と共に創作し2014年に初演した作品で翌年には再演を果たしています。今回はレパートリー作品としてNoism1のメンバーが踊ります。


金森穣「『Painted Desert』はNoism2が創ってきた数々の作品の中で、自分にとって一番優れた作品であると思っています。優れているという根拠としては、単純に作品が持っている構造的な強度、振付の強度ももちろんですが、どの舞踊家が踊っても変わらない作品です。それがマイナスではなく、作品としての構造がしっかりしているからこそ、どの舞踊家が踊っても生きる作品があって、同時にそういう作品というのは、踊る舞踊家の力量を刺激する、その作品を踊ることでその舞踊家の新たな可能性を引き出す、平たく言えば舞踊家が良く見える作品なんです。

『Painted Desert』はそういう作品で、Noism2の舞踊家が踊っているのを見たときに、Noism2っぽくないと思いました。青臭さがなくて、単純に舞台芸術作品としてあっと思わせる作品で、これであればNoism1の舞踊家が踊ってもいけるだろうし、同時にNoism1の舞踊家は自分(金森さん)の作品ばかり踊っていましたので、そうではなく別の振付家が創った作品を踊ることで、彼ら自身が新しい可能性を自分で見出すことができるのではないかと。Noism1を観るお客さんにとっても新しい彼らが表現できるのではないかと思って、今回Noism1での再演としたわけです。

新作『Liebestod-愛の死』については、18歳の時から、最初にこの曲と出会った時からずっと好きでずっとあたためていた音楽なので、25年経って、ようやくこの音楽で創ろうと決意したわけです。その背景には、今回はたった二人しかいないということ、物語を持っていないということ、何か実験をしようとしているわけではないということ、単純に純粋にこの音楽から受けるインスピレーションによって、たった二人だけの作品を作りたいと思いました。その純粋な想い以外の何物でもない。

Noismを始めて15年間でいろいろな実験をしたり、10人のメンバーをどういう風に使うか、物語の構造をどうしていくか、演劇と舞踊をどう重ね合わせたり、いろんなチャレンジ、自分の創作的欲求と向学的な欲求と共に歩んできたので、もう一度20歳の時のデビュー作、『アンダー・ザ・マロンツリー』のようにピュアにその音楽に自分の舞踊を振付ける、舞踊とは何か、自分にとっての舞踊ってどういうものなのかというものを純粋に作りたい、それが今回の作品です」


井関佐和子「この新作については言葉がいらないというのはわかっていただけたかと思いますが、この作品を作ることになると言った時の演出・振付家の目が忘れられません。あまりにも輝いて凄かったです、エネルギーが。俺はこれを創る、二人だけで創ると。で、出演が決まって、舞踊家としてこの上ない喜びですよね。普通に舞踊家だったら、振付家と一緒に作品を創っていくのですが、そこに自分を通して作品を見てくださって、それを私がお客さんに見せることができる、この振付家が感じている感動はこのようなものだと身体を通して出せるのは一番の喜びですよね。それ以上私も語るものがありません。自分自身、この話を聞いただけでも感動したのですが。

あとはクリエーションが、久しぶりに素直に楽しいクリエーションなんです。もちろん二人だけしかいないというのもそうなんで、3人でスタジオにこもってやっているんですが、穣さんの頭脳ではなく、心だけが見えるというクリエーションなのは久しぶりという感覚があって。それにただ私の心をぶつけて。この感覚を忘れずに舞台に立ちたいしお客さんに感動してほしいと思います」

Q.このワーグナーの曲のどんなところに魅力を感じられましたか?このタイミングで具体化しようと思ったきっかけは?

金森「18歳の時に感動したんです。ベジャールが使っていたんです。黛敏郎さんの編曲バージョンです。「M」という三島由紀夫を題材にした作品が、ちょうど自分がルードラに入って一年後の夏休みに帰って来た時に公演があって観てて、面白い作品だなと感銘を受けて自分も出たいなと思っていたんですが、一番最後のシーンでこの楽曲が使われていた時に、ベジャールには申し訳ないんだけどこの舞台で行われていることより、音楽に持っていかれて、この音楽がたまらないと。当然CDを買い、そこからずっとずっと聴いているんですが、何が好きかというと、わからないんです。感動したんです。ある音楽が、なぜ自分の魂にそれだけ触れてくるのか、わからないのです。それをわかろうと思ったら、自分は振付家だから作品を創るしかなかったんです、それが何なのかを知るために。

なぜ25年間もかかったのかというと、創ることができるとは思わなかったからです。とても感動したのですが、舞台が見えない。ある音楽に感動して、舞台が見える時と見えない時があるんです。それからいろんな作品を創って、実験をしていろんな勉強をして。『マッチ売りの話』と『passacaglia』も、結構頭を使った作品なんです。もちろん心も使ってますが。それを創った後で、ある人の話もあり、自分の心のありようもあり、一回頭を使って考えるのをやめようかと思ったんです。もっとピュアに、ある音楽が自分に何かを語ってくるので、語ってくるものを普遍的にお客さんに提示する才能がもし自分にあるのなら、振付家としての自分はそれだけで勝負したい。自分が感動したものを舞台で見せたい。理屈はいらない、というものを創りたいと思ったら、この曲しかなかったんです。

Q.今回の作品は「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と「愛の死」を使っていますが、前奏曲では、「箱入り娘」で印象的だった吉崎裕哉さんがデュオで抜擢されています。彼の抜擢の理由は?

金森「いろんなことがあるのですが、一つに絞れることではなくて、それは言いたくないんですよ。舞台上で踊る彼を見ていただいて、その表現されているところを観てほしい。それは彼にも伝えているんです。「多分このことは聞かれるので、そう答えるから、よろしくね」と。自分が例えばそう思って発言したとして、「そういう風にして起用してくれたんだ、ではがんばろう」、というのではなくて、舞踊家自身が見出すべきだと思っています。今であれば、吉崎裕哉自身が、井関佐和子と二人だけのデュオで選ばれた、しかもこの作品で、なんで自分がそこにいるべきなのかということを、彼が今クリエイションを通して、稽古を通して見出すべきで、それがお客さんに伝わるはずなので。理由を知ってしまうと借りてきた猫みたいになってしまう。力量が足りてる、足りていないみたいな話には今回したくないんですよ。それが今回の作品を創る自分の、本当に心で創っているということと全く同じで。頭で創っていればいろいろ言えるのですが、それは言いたくなんですよね」

「今だいぶ稽古を重ねてきていて、あらかたラフスケッチは全部できていて、期待していいと思います」


Q.心の部分で作品を創るというのは、今までと感覚的にずいぶん違うものなんでしょうか?

金森「ガラッと違うわけではないんですが、比重の問題なんです。今回ワーグナーについてもリサーチしましたし、ワーグナーがこの曲を書くに至った、影響を受けたとされるショーペンハウワーの本も読みました。
ただ、それらが頭で理解した情報としてこの創作に結びついているというのは、ショーペンハウワーの「意志と表象の世界」の中の芸術論に非常に感銘を受けたからです。「愛の死」と同じくらい感動したんです。自分が感銘を受けたというのが今回何より重要で、それが頭で組み立てるための要素というよりは、感動したからショーペンハウワーの名前を出しているのです。だから今までのプロセスとは違います。言語化しようと思えばできるのですが、そうするのはこの作品に関しては、うそっぽくなるというか言語化できない部分があるのです。心の持ちようが今回は違いますね。

振りを創るときも、頭で考えて創らないようにしているので、出ない時には出ません。もちろん全部自分が創っていますし、100%もちろん振付ですし、そこに何かの方法論があるわけではなくて、本当にピュアに舞踊の振付家として、音楽を聴いて自分の体に来たら動く、それを振りとするというふうにしています。ストーリーを表現しようとはこれっぽちも思っていません」

「ASU」の時の動物として動いているのではなくて、人間として、舞踊家として動いています。自分が言うところの舞踊家ということは、そこにはバレエという自分を育ててくれた文脈も当然あり、またこの15年の間自分が身体と向き合う過程でして来たことも当然自分の体に入っており、全部それら、今の金森穣の身体が、今まで42年間培ってきたもの全部を用いて純粋に創っています」

Q.今回の原点回帰しようと思ったのは、ルーマニアで経験したことも関係していますか?

金森「ブカレストに行く前から、この作品のことは決めていたので関係はしていません。ただ、ブカレストで頂いた評価や、かけていただいた言葉が、あ、本当に「Liebestod」に続いていて良かったなと感じさせてくれたと思いました。それはやはり感動させたい、と。『バヤデール』ももちろん感動させたくて創ったのですが、ただそこにはいっぱい考えていることがありました。それらが伝わって感動させて掛けてもらった言葉なので、思考を否定しているわけではないんです。ただあまりにも概念にとらわれると、魂の部分、心の部分が見えづらくなる、感じづらくなってきた自分を感じたんです。いろいろ勉強して、いろんな考え方とか価値観、方法論を学んでくると、自分の魂に触れてくるものは何かということがちょっと忘れられそうになる、そこをなくしたらダメじゃない、と。一回ここに帰ったほうがいいんじゃないかという声が聞こえたので、そうしてみることにしました」


Q.「Liebestod」は物語はないということでしたが、前半、役名が「歓喜の女」「末期の男」という対照的なものとなっています。今の段階でどのような構成になっていますか?

金森「既存の物語はないということです。二人で純粋に踊っていますね。自分が死に行く存在、余命少ない男と、生きることの喜び、生命の輝きに満ち溢れている女がある瞬間に出会って愛し合う、というもので、男と女ということで愛なのですが、すごくトータルなものです。人生を肯定的に見て、生きていることが当たり前だと思って死を恐れるか、死ぬことを当たり前のことだと思って生命を喜ぶか、それは表裏一体で、つながっているわけです。それは男と女というものに当てはめて。「トリスタンとイゾルデ」もそういうところがあって。

それは神話から題材を取ってワーグナーが創っているわけであって。神話の重要性はワーグナーも著作で書いています。普遍的な、万物の真理のようなものに触れて物語が展開していくことが何より重要だと。私自身もそれは感じます。もちろん物語、ドラマはあります。物語を表現するために男性、女性がいるのではなく。男性と女性が大前提として存在し作品にポンと置いて、そこにワーグナーの音楽が流れてドラマが展開するというものです。


いつもながら、金森穣さんの言葉には、真摯に作品に取り組み新しい挑戦を重ねる姿勢と鋭い知性、現代社会を見渡す目、芸術家としての覚悟が感じられます。「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」はその圧倒的な美しさやドラマティックさで、多くの振付家が取り組んできた音楽ですが、今回の作品も楽しみでなりません。

Noism1 
新作『Liebestod-愛の死』
レパートリー『Painted Desert』

演出振付:金森穣(愛の死)、山田勇気(Painted Desert)
出演:Noism1
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【新潟公演】
日時:2017.5.26(金)19:00、27(土)17:00、28(日)15:00 ※全3 回
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉
料金:一般 S席 4,000円、A席 3,000円
U25 S席 3,200円、A席 2,400円(全席指定)
※U25=25歳以下対象チケット
▼公演詳細
http://noism.jp/npe/n1_liebestod_pd_niigata/
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【埼玉公演】
日時:2017.6.2(金)19:00、3(土)17:00 、4(日)15:00 ※全3 回
会場:彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉
料金:一般 5,500円、U25 3,500円(全席指定)
※埼玉公演のU25はさいたま芸術劇場のみ取扱い。枚数制限あり
▼公演詳細
http://noism.jp/npe/n1_liebestod_pd_saitama/



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