焼け野原のバレエ教室
洗足へ移転後、私は笹本先生のBクラスに昇格しました。
笹本先生は背が小さく、ちょっとふくよかで、見た目はあまりバレエ向きではないけれど、すごく音感がよく、表現力がとても豊かな方でした。小牧先生はそこを買っていて、『コッペリア』の主役のスワニルダに配役しています。やはり笹本先生の踊りはすばらしかった。だから私たちは尊敬してた。
笹本先生は銭湯の娘さんで、気さくな人。とても人柄のいい方でした。稽古帰りに私たち生徒を引き連れて新宿まで行き、和菓子をごちそうしてくれたこともありました。楽しい思い出です。
私のバレエも次第に上達し、遂にAクラスになりました。関直人先生のクラスです。関先生はまだ若く、私の2、3歳上でした。関先生のレッスンは厳しくて、それはもうスパルタです。とてもついていけません。「私にはムリです」と言って、いったん笹本先生のBクラスに戻ることになりました。
ただ関先生はすてきな方で、女子生徒全員が彼のファン。私もいつしかファンになっていました。レッスンが終わると、洗足駅で先生が来るまでみんなで待ち伏せしたり、ラブレターを書いて渡したり……。いろいろアプローチをしたけれど、結局みんな揃ってふられていましたね。
とはいえ私たちは可愛いもので、上の方ではさまざまなもめ事があったようです。バレエ団のことが雑誌にスキャンダラスに書かれたこともありました。記事を読んで、私はこんなところに入ったのか! とびっくりした記憶があります。
牧淑子の名でデビュー
初舞台は高校生のとき、有楽座で上演した『白鳥の湖』のコール・ド・バレエでした。主演は広瀬佐紀子さんです。コール・ド・バレエの仲間に雨宮勢津子さんがいました。同い年で、クラスも一緒に上がっています。
小牧先生はなぜか私のことを可愛がってくれて、「雑賀という名前は難しすぎるから、小牧の牧をあげるよ」と芸名をくださいました。まだコール・ド・バレエだというのに、「牧淑子」の名でデビューしています。それからフランスへ行くまで、ずっと牧淑子の名で踊りました。
小牧先生はちょっとクセの強い方で、私たちは稽古帰りによく愚痴をこぼし合っていたものです。小牧先生はときどきロシア語を話されていて、私たちもロシア語で怒られることがありました。
小牧先生は上海のバレエ・リュスで主演を踊っていて、それはすばらしい活躍をしてた。そこで得たものを日本に持ち帰り、私たちに分け与えてくれました。とはいえ男性の先生にとって、女性のパートまで全て把握しているかというと難しい。例えば、『レ・シルフィード』を上演するとする。男性のパートは小牧先生の頭に入ってはいても、女性のコール・ド・バレエの振りまで逐一把握はしていません。それはそうですよね。
そこで助けになったのが、ときどき小牧バレエに顔を出していたアメリカ人の女性です。彼女はアメリカ人の軍人さんにくっついて日本に来た方で、もともとニューヨークでバレエを踊っていたそうです。彼女が私たちに『レ・シルフィード』の女性パートを教えてくれて、なんとなく形になっていたところがありました。
18歳で東京小牧バレエ団の団員になりました。団員になったばかりのころ、ロンドンのフェスティバル・バレエ団のプリンシパルだったソニア・アロワさんがゲストに来ています。ソニアさんは私がはじめて見た外国人のダンサーでした。ソニアさんの踊りを間近で見ることができ、本当に勉強になりました。
ソニアさんが女性ダンサーの踊りを見て、原典との違いに気づいたようです。彼女が小牧先生に「ちょっと直していい?」と聞くと、先生も「いいよ」と言う。ソニアさんが女の人の踊りを直していき、そこでいわゆるオリジナルの振りを身につけることができました。
ソニアさんはレッスンも見てくださいました。それまでポワントのレッスンは、エシャッペならば100回と、回数に頼る稽古でした。ソニアさんにポワントを教わり、こうすればいいんだとはじめて知りました。
ソニアさんを主演に迎え、『眠れる森の美女』を日本初演しています。私はプロローグでネズミを踊りました。王子は小牧先生。カラボスも小牧先生が踊っています。小牧先生はプロローグと第1幕でまずカラボスとしてあらわれ、私たち10匹ほどのネズミたちが先生の乗った蜘蛛の巣型の台を引いて舞台をぐるぐる回ります。それから先生はすごい勢いで着替えて、王子を踊る。王子とカラボスを一晩で踊るなんて、今ではありえない話です。戦後さほど経っておらず、男性の踊り手がまだ少ないころでした。4人の王子は関先生と横井茂さん、鈴木武さん、岸紀元さんが踊っています。
93歳のバレリーナ 雑賀淑子(4)につづく。
プロフィール
雑賀淑子(さいが・としこ)
1932年8月11日生まれ。9歳より彰城秀子のもとでモダンダンスをはじめる。戦後小牧正英バレエ学園でバレエを学び、東京小牧バレエ団入団。その間パリへ留学し、オルガ・プレオブラジェンスカ、ビクトル・グゾフスキー、ルネ・ボン等に師事。振付をネリー・ブーシャルドに学ぶ。小牧バレエ団を退団後、サイガバレエ研究所及びサイガバレエを設立。ステージ・テレビ等で古典及び創作バレエの上演、また各地で様々なパフォーマンスを繰り広げている。サイガバレエ研究所主宰。舞踊作家協会理事、(一社)青少年音楽協会理事。https://www.saiga-ballet.com
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