【パリ・オペラ座バレエ日本公演】マルク・モロー(エトワール)インタビュー~小さな村に生まれた私が、オペラ座で夢を叶えるまで

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2024年2月、4年ぶりにパリ・オペラ座バレエが来日し、ルドルフ・ヌレエフ版『白鳥の湖』とケネス・マクミラン振付の『マノン』の2作品を上演しました。

同団は2022年にジョゼ・マルティネスが芸術監督に就任して以来新たに4名のエトワールを任命。スジェからプルミエール・ダンスールの昇級試験を撤廃するなど、改革を続けています。

今回のパリ・オペラ座来日公演期間中、3名のダンサーを取材。2023年3月の公演でエトワールに任命された、マルク・モローのインタビューをお届けします。

Interview #2
マルク・モロー Marc Moreau
エトワール

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エトワール任命から一年が経ちますが、当時を振り返ってどんな気持ちでしたか?
本当に夢が実現しました! 私のエトワール任命は少し変わった形で、公演の第一部でバランシンの『バレエ・インペリアル』を踊った後の幕間に、オニール八菜さんと共に任命されました。その後の第二部で『フー・ケアーズ』を踊ったので、エトワールになった直後にこんなに早く次の舞台に立った人は、ほかにいないかもしれませんね。
任命の瞬間は喜びで心が震えました。それに当日は母も会場に来てくれていたんです。たくさんの思いが胸の中を巡り、劇場にいたお客さまと喜びを分かち合うこともできて、まるで雲の上を歩いているような気持ちでした。
この数年間を振り返って、浮き沈みがあっても落ち着いた気持ちで過ごせたと思っています。素晴らしい環境で、これまでに踊ったことのないたくさんの役を踊る機会に恵まれたのが幸せです。
2月の日本公演で『マノン』に主演。デ・グリューを演じるうえで意識したことは?
この役はとても複雑で深みがあります。運命に翻弄されるたびに新しい感情を抱き、それが層となって積み重なることでデ・グリューという人格ができあがる。そんなおもしろいキャラクターだと思っています。
はじめてデ・グリューを演じたのは、2023年7月のパリ・オペラ座の公演で、パートナーは日本公演と同じリュドミラ・パリエロさんでした。これほどまでにドラマティックな役を踊ったのは、はじめての経験。リハーサルを積み重ねて成熟した舞台を、日本公演でもお見せできたらと思っています。
私が大切にしているのは、お客さまの心に情熱の渦を湧き上がらせること。それは、物語の力と自分の身体からあふれ出る熱によって生み出されます。『マノン』はドラマツルギーの素晴らしい作品。テクニックを堪能するだけでなく、この作品が持つ喜びや苦しみといったいくつもの瞬間を一緒に味わっていただきたいです。
デ・グリューに共感できる部分はありますか?
もちろん共感します。なぜならこの役は、私の人生では起こり得ないようなことをたくさん経験させてくれるから。今とは違う時代で、自分と違う日常を生きている人の中に潜り込んで、もう一度新しい人生を歩んでいくような不思議な感覚になります。私はデ・グリューのような役がとても好きです。リュドミラさんと一緒に、今回もデ・グリューとして懸命に生きたいと思っています。
リュドミラ・パリエロさんはあなたにとってどんなダンサーですか?
リュドミラさんは、身も心も自分の使命のために捧げる、真のアーティスト。今回の公演ではドラマティック・バレエのドラマを語る、すなわち“マノンを生きる”ということが使命になります。
同時に、彼女は信頼をおいてくれるパートナーです。私たちはお互いのモチベーションを上げ、いちばん良い状態を引き出していくような関係だと感じています。

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子どもの頃のお話も聞かせてください。モローさんがバレエをはじめたきっかけは?
バレエを始めたのは4歳の時。当時、近所にいた熱心なミュージカルファンの勧めで、ダンスに興味を持っていました。その頃観た『雨に唄えば』はいまでも好きな作品です。
それから2年、6歳になった私は、テレビで観たバレエに心を奪われました。その時放映されていたのは、マリ=クロード・ピエトラガラさんとパトリック・デュポンさんが踊る『白鳥の湖』。衣裳や美術、音楽の素晴らしさに圧倒されて、「この世界の中になんとしても入りたい!」と夢を持ちました。私はたちまちパトリック・デュポンさんの虜に。彼がダイナミックな跳躍を見せ、役が憑依したかのように舞台の上で涙を流す姿に、胸を強く打たれました。これがバレエに対してエモーションを感じた瞬間だったと思います。
パリ・オペラ座バレエ学校にはどのような経緯で入学しましたか?
町のバレエ教室に通っていた時、先生の知り合いにパリ・オペラ座バレエのことをよくご存じの方がいました。学校公演があるので観に行ったら?と勧められて、行くことになりました。いざパリに着いて、はじめてオペラ座の建物を見た瞬間、とにかく圧倒されてしまって。素晴らしい劇場の中で小さな生徒たちが堂々と踊っているのを見て、「よし、自分もやってみたい!」と思いました。
その公演では小さなプログラムが配られたのですが、その冊子の裏に入学試験の申込書がついていました。それを母がさっそく書いてくれて、私はオーディションを受けることに。でも、ひとつ問題があって、当時の私は基準に満たないぐらい背が小さかったんです(笑)。まず書類が通るかどうかも分からなかったのですが、無事に入学が叶って今に至ります。
ご家族はバレエを応援してくれましたか?
両親はダンスとまったく縁のない環境にいて、バレエのことは何も知りませんでした。母は主婦で私と二人の兄を育て、父は農業関係の仕事をしていました。それに私の出身地はすごく小さな村で、畑の中にポツンとあるようなところ。だからパリ・オペラ座はとても遠い世界だったんです。
はじめにバレエに興味を持ってくれたのは母でした。でも家族三人で一緒にパリ・オペラ座バレエの公演を観に行った時から、父も背中を押してくれるようになりました。父はその時、舞台の上で起こる魔法のようなできごとを目の当たりにしたんです。ダンサーという職業が存在していることを知り、それは人々に幸せを与える仕事だと感じたのだと思います。私がパリ・オペラ座バレエ学校に入ってからも、よくパリに応援しに来てくれました。
続けていくなかで、バレエを嫌いになったことはありますか?
バレエダンサーはとても大変な仕事だと思います。なぜなら、ポジションやパに対して厳密でなければいけないし、つねに高い要求を課されるから。この仕事はなんとなく適当にこなすことはできなくて、きちんとした正確さが求められます。子どもの頃に苦労しながらも続けることができたのは、バレエに対する情熱があったから。キャリアの中で怪我をしたり、壁にぶつかったとしても、情熱があれば乗り越えられると強く感じました。
モローさんは、2004年にパリ・オペラ座バレエに入団。エトワールを目指していた当時の自分に伝えたいことは?
我慢強くいてほしい。とにかく続けて、真面目に取り組んでほしい。そうしたら結果はついてくるんだと、励ましたいです。
ターニングポイントになったと思う作品は?
今までたくさんの役を踊ってきて、それぞれに出会いがあり、素晴らしい思い出があって、一つひとつが強烈な体験でした。その中であえて一つ選ぶとしたら、2022年12月の『白鳥の湖』のジークフリート王子。なぜなら、この役が「もっとこの仕事を続けていきたい」と思わせてくれたからです。
ジークフリート王子の役は、私にとってはじめてのヌレエフ作品の大役で、自ら演じたいと名乗り出た役でした。さらに嬉しかったのが、フロランス・クレールさんと一緒にリハーサルできたことです。クレールさんはヌレエフのパートナーだった方。そんな彼女から直接指導を受けるという素晴らしい経験ができ、私のキャリアを築くきっかけになったと考えています。ミリアム・ウルド=ブラームさんをパートナーとして迎えて踊ることができたのも幸運でした。彼女の演じるオデット/オディールは、繊細さと強さを併せ持ち、唯一無二の魅力にあふれていました。
モローさんは花に縁があると聞きました。好きな花はありますか?
そうなんです! 祖父母がふたりとも花屋さんで、母も花屋さんになったくらい(笑)。花に囲まれた家族だからか、私はどれも選べないくらい好きです。

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マルク・モロー Marc Moreau
4歳でバレエを始める。1999年パリ・オペラ座バレエ学校入学、2004年パリ・オペラ座バレエにカドリーユとして入団。2009年コリフェ、2011年スジェ、2019年プルミエール・ダンスールに昇格。2023年3月2日、ガルニエ宮でのバランシン『バレエ・インペリアル』上演後、エトワールに任命。

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