Noism設立20周年! 国際活動部門芸術監督 井関佐和子インタビュー

今年4月、設立20周年を迎えたNoism。この20年を振り返り、現在の心境をお聞かせください。

あっという間だったというか、意外と短かった感じがします。もちろんその時々で苦しかったことや面白かったこと、いろいろ覚えてはいるけれど、でもそれは昨日のことのようであり、ある意味他人の人生のようでもある。20年というと相当な時間だけれど、20年間がむしゃらにやってきたので、もう20年か、という感覚があって。刺激が多すぎるのかもしれません(笑)。

劇的舞踊『カルメン』(ver. 2016) 撮影:篠山紀信

ヨーロッパにいたころは、「30代になったら自分はもう踊っていない」と言っていました。Noismができた20代半ばになると、「40代になったら自分はもう踊っていない」と言っていた。けれど、あっという間に40代半ばになっていた。早いですね。早いと感じているということは、今この年でまだ全然いけると感じているということ。もし疲れてしまっていたら、長いと感じていたかもしれないけれど、全然そういう感覚がなくて。精神的にもそうだし、身体的にもそう。

今振り返れば、30代半ばが一番辛かった。身体的にも変化がありながら、精神状態は若いときのままなので。まだ全然いけるという想いと、現実とのぶつかり合いがありました。

20代の葛藤とはまた全然違う壁があった。舞踊家としてこれからどうしていくかという壁に、30代半ばで突き当たっていた気がします。踊りたいと思ってはいるけれど、身体は痛いし、もうどうしようという感じ。どう身体と向き合っていくべきかわからなくて、トレーナーの先生にもいろいろ相談していました。ただそのころは“どういう風にもたせるか”と聞いたりと、結局その場しのぎでしかなくて。

もっと踊り続けていきたいのに、これではダメだなと思った。それで40代を迎えるころ、一旦ゼロから見直そうと考えました。身体的なことをゼロにする。ゼロになるために、自分が思っていることを根本的に変えていく、ということです。ただ、ゼロにするって難しい。いったんゼロにして、さらに自分がゼロにしたと思ったことを変えていく。自分がゼロにしたと思っている、そのこと自体を見つめ直していきました。

『Nameless Hands』(初演:2008)撮影:篠山紀信

例えば、ただ立つということ。私は今まで立っていた。でもこれではダメだから、別の立ち方を模索する。でもそれですら自分の癖だったり、自分のマインドでそうしているのではないかと自分で自分を疑ってみる。自分を疑っているつもりではなくて、本気で疑う。解剖書、スポーツ医学、子どもが読むようなバレエの初心者本などを読んで、客観的に身体を見つめる。そしてその情報の受け取り方すらも疑う。自分を疑うというのは、自信をなくすことではなくて、自分がこれだと思っているものをさらに深く疑うということ。そのことによって自分の勘違いが見つかることがある。それをしたときすごくゼロになれた。そうすると、情報がたくさん入ってくるんです。

ゼロにしようと自分の身体と向き合いはじめたとき、身体ってすごいな、まだ進化できるんだと驚いて。脳の働きや心の持ちようでどんどん身体が変わるのが楽しくて、同時に表現も面白くなっていきました。

毎日同じルーティーンで同じことを繰り返しているからこそ、ゼロに戻れたという感覚があります。それができる時間と空間があるというのは、舞踊家にとっては宝ですよね。そういう意味ではNoismがあって幸せだったなと思います。リハーサルのために集まって、ウォームアップと作品づくりのためだけに身体を動かしていたら、本気で自分に向き合うことはなかなかできないと思うから。

とはいえ突然変わるのは無理で、自分の中にちゃんと落とし込んでいかなければいけない。時間はかかるけど、諦めないでやっていると、変わったと言ってくれる人もいて。自分では変わっていっているかあまりわからなくても、外部からそういう声が聞こえたときに、自分がやっていることに対して自信も生まれてくる。そしてある時から自分が確実に変化していることを知るんです。だから今、40代に入ってからが踊っていて一番面白いですね。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

身体が変わって、まず疲れにくくなりました。みんなと一緒に踊っていても、私よりものすごい若い子たちが後ろでゼーハーしていたりするんです。この前も若い子に、「佐和子さん、息が上がらない方法を教えてください。どうやっているんですか?」と聞かれたくらい(笑)。たぶんコントロールができるようになったのだと思います。コントロールするとは言っても、冷静になりすぎてはいけなくて、精神と身体のバランスが上手く取れているということ。それもゼロに戻ってから気づきはじめたことでした。

穣さんは特に何も言わないけれど、一番近くで見ているのは彼なので、たぶん私の変化には私と同じくらい気づいているはず。ただ穣さんはスタジオに入るとあくまでも振付家なので、私の表現がどう変化してきたかという部分を捉えていると思う。それもあって、振付家として求めることはやっぱり変わってきている気がします。

『SHIKAKU』(2004)撮影:篠山紀信

2004年に発表したNoism作品第一弾『SHIKAKU』にはじまり最新作まで、特に想い入れのある作品といえば何でしょう?

『SHIKAKU』はやはり一番強烈でした。最初の作品という意味でもよく覚えています。『NINA』も想い入れ深いですね。大変だったのと、あそこで振付家との信頼関係がかなり築かれてきた。プロセスもまた面白くて、『SHIKAKU』や『black ice』などそれまでの作品は一緒につくっているというより、つくってもらったものを踊っていた感じでした。

でも『NINA』からは自分自身も参加した感じがあって。舞踊家にとって、作品を踊るではなく、作品を一緒につくるとはどういうことか。それを感じたのが『NINA』でした。そのほかにも想い入れのある作品は本当にたくさんあって、もう全てと言うしかない。ひとつずつ何かしらあって、ひとつの作品も忘れてはないですね。

『NINAー物質化する生贄』(初演:2005)撮影:篠山紀信

Noism設立前から20年以上金森作品を踊り続けてきました。舞踊家として感じる、その尽きない魅力はどこにあるのでしょう。

とにかく穣さんは直球なんです。でもその直球さが嫌ではなくて、むしろ好き。穣さんが求める直球さに対して、ただ向き合って、こう求められているからこういくということではない。穣さんがある意味ベタにドンと出したものを、“うわ、直球だな”と思って、私もドーンと直球でいくと、「そうじゃない」と言われてしまう。「違うよね」と言われて、さてじゃあどうすればいいんだろうというプロセスに入っていく。舞踊家としてはそれはある意味闘いでもある。それが永遠に繰り返されているから、飽きさせてくれないというか……。

ただ私も穣さんがやっていること全てに対して素晴らしいと絶賛しているわけではありません。私はそんな優しい舞踊家ではないので(笑)。私なりに見えてしまうものがあって、「それは違うんじゃない」と言ってしまうこともあるし、そこでぶつかりもします。でも、ぶつかったことで次の化学反応が起きるのは確か。そういうプロセスが面白い。

私が言うことに対して、穣さん自身気になっていたときは彼も受け入れるし、受け入れないことも多々あります。でもそれでいいと思う。私も感じたことを口に出しはするけれど、最終的に作品は穣さんのものなので。

『Amomentof』リハーサル 撮影:遠藤龍

ずいぶん前、同じような振付が続いて、あまり面白みを感じられずいた時期がありました。穣さんは「振りはどうでもいいんだ、演出が重要なんだ」と言う。私がそのとき「同じ振りばかりじゃない」と言ったら、大げんかになって。だからといって、穣さんは面白くしようとはしない人。でもそのことが穣さんの頭の中に少なからず残っていたんでしょうね。そこから作品と演出のバランスがどんどん面白くなっていった。そのときがたぶん何かの転機だったのだろうと思います。演出振付家という名前が出てきたのもそれ以降の話ですね。

作品だけに意味をもたせるわけでもない。かといって面白い振りをしようというわけでもない。そのマッチングがどんどん面白くなってきて、どんどん年齢を重ねるごとに増してきているのをここ最近すごく感じます。そういうところを見ているから、いつまでも飽きないのかもしれません。

本気でひとりの振付家と向き合い続けてきた。これだけ時間をかけてもわからなかったり、難しかったりする。だから単発で違う振付家と向き合うのは難しい。やはりそこまでのことを求められないから、私自身そこにもう魅力を感じなくなってしまっている気がします。

『Liebestod-愛の死』 (2017)撮影:篠山紀信

 

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