バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座〈第14回〉多文化時代のダンス(バレエ編)〜それは伝統的表現か、差別なのか〜

“Contemporary Dance Lecture for Ballet Fans” 

Text by NORIKOSHI TAKAO

多文化時代のダンス(バレエ編)〜それは伝統的表現か、差別なのか〜

バレエはフランス的・ロシア的などいろいろあっても、基本的に一本の大きな太い流れがある。
どこの国であれ、バレエといわれれば『白鳥の湖』や『ジゼル』など、ほぼ共通の作品のワンシーンが頭に浮かぶだろう。

しかし「コンテンポラリー・ダンス」といわれて、これ、と共通のビジュアルはなかなか浮かんでこない。
それは『〜食わず嫌いのためのコンテンポラリー・ダンス案内〜  第0回』でも書いたように、コンテンポラリー・ダンスとは特定のダンスのスタイルを指したものではなく、「限りなく広がってしまったダンススタイルを総称するもの」だからだ。

こうなった原因のひとつは、コンテンポラリー・ダンスが演劇や映像や建築など様々なアートを取り入れ、そして伝統舞踊や民族舞踊、流行のダンスなどと、なかば無秩序に融合しながら表現領域を広がっていったためである。

そうやって「外部」からの刺激がダンスを活性化してきた。
しかし「外部」への知識不足や無理解、あるいは世の中の移り変わりとともに、いくつかの表現が「差別」につながると批判されることがある。

今回はそうした「外部」への広がりと、差別につながる表現について、2回にわたってみていきたい。

今回はバレエについて見ていこう。
特に近年は長く普通とされてきた伝統的な表現が「差別的」だと指摘され、世界の有名バレエ団からの声明が相次いでおり、最もホットなトピックのひとつとなっているのである。

バレエの中の伝統舞踊・民族舞踊

●植民地時代と重なる

クラシック・バレエはヨーロッパやロシアを中心に発達してきたが、様々な国や地域の文物を採り入れた作品も多い。

『ラ・バヤデール』『海賊』のような、ヨーロッパ人にとっての「異国」が舞台になる作品もあれば、『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』のように劇中のディヴェルティスマン(余興)として多彩な国をモチーフに踊られるものもある。

これらはバレエに華やぎを与え、趣向を凝らしたダンスを楽しめるので、バレエの大切な醍醐味となっている。

ただこれらの時代背景には、ヨーロッパが世界中に展開していた植民地政策がある。
バレエが発達した時期と、植民地の拡張時期は、ぴったりと重なるのである。

15世紀後半から17世紀後半の大航海時代にいち早く冒険に乗り出したスペインとポルトガルが巨利を得た。アステカ帝国やインカ帝国は滅亡し、戦国時代の日本に布教&貿易にくるほどだった。
17世紀からは没落するスペインやポルトガルと入れ替わるように、イギリスやフランス、オランダ等が台頭してくる。ロシアも周囲のスラブ諸国を併合して18世紀にはシベリア、そして南下政策で清(中国)やバルカン諸国、トルコへ触手を伸ばす。

バレエが発達したのは、17世紀のルイ14世以降。これは世界各地を植民地化するぶんどり合戦が始まり、ヨーロッパにもたらされた富と無縁ではない(もちろん産業革命で生み出された工業製品の発達もあるが、これも植民地を経由することで利益を生んでいった)。

舞踊史の研究者でこういうことをいう人は多くはない。しかし日本のモダンダンスが明治以降の急速な近代化と戦後の高度成長、そしてコンテンポラリー・ダンスが昭和のバブル経済と不可分であるように、ダンスが人と社会に直結している以上、経済とも関わってくるのは当然の話であり、バレエの芸術的価値を貶めるものではない。

●「未開の土地の珍品」を愛でる

こうした世相の中で、アジア・アフリカ・中東・南米など世界中に及ぶ植民地からもたらされる「未開の地の変わった文物」は、大いに人々の興味を引いた。

生活用品から芸術品まで、異国の収集物を集めて鑑賞することが流行し、「ヴンダーカマー(驚きの部屋)」 と呼ばれた。個人の蒐集部屋から始まり、やがて商業的に規模が拡大し、後の博物館の土台のひとつとなる。

そして「異国の地の変わった文化、エキゾティックな魅力に溢れた美男美女」は、ヨーロッパにはない生と性の魅力に溢れた存在として描かれた。
モノクロの写真や映像と違い、バレエの世界は絢爛豪華な色彩の世界。美しくエネルギーあふれる肢体の男女が愛憎の火花を散らす…….。

ロマン主義によって王侯貴族から妖精の世界にまで想像力を広げていったバレエは、植民地主義によって今度は「異国」(キリスト教国以外の国全部)へと「妄想の楽園」を広げていったのである。

そこで今回(前編)では、バレエを重点的に、以下のような分け方で見てみよう。
異国の描かれ方、取り入れ方の分類である。

【バレエの中の「異国」の描かれ方】
  • その1:「近い異国」のバレエ
  • その2:「遠い異国」のバレエ(想像)
  • その3:「異国情緒」をディヴェルティスマンに採り入れたバレエ

その1:「近い異国」のバレエ

●皆が知っている「異国」

20世紀になると船や鉄道が拡充し、作家やアーティストも世界を旅行するようになった。なかでも東欧や北欧、地中海の国々など、「そんなに遠くもなく伝統舞踊・民族舞踊が生きている地域」は、手軽に行けて適度にエキゾティックな土地である。
ここならばよく理解した上で作品の舞台にでき、伝統舞踊を作中に取り込むのも容易だ。

19世紀の宮廷で大流行していたハンガリーの「チャルダッシュ」というダンスは、『ライモンダ』やポーランドが舞台の『コッペリア』等に登場する。
『ラ・シルフィード』は舞台であるスコットランドの踊りが満載だ。

バレエ・リュスにも『シェエラザード』『クレオパトラ』など数々のエキゾティックな作品があるが、ヨーロッパの観客には『春の祭典』『火の鳥』といった「ロシア物」だけで充分にエキゾティックな存在だった。
ちなみにロシア伝統舞踊の代表として「コサック・ダンス」がよく使われるが、本来はウクライナの伝統舞踊である。その昔侵攻してきたモンゴル帝国の兵の武術を採り入れて発達した物といわれている。

●「ヨーロッパにしてアジア」の魅力、スペイン

なかでもバレエ作品に別格の頻度で登場するのがフラメンコに代表されるスペイン舞踊である。

スペインとポルトガルは、ちょっと特殊な存在なのだ。
ヨーロッパでありながら、ムスリム勢力とキリスト教勢力がせめぎ合い、占領されては取り返す、という歴史が約1000年間も繰り返されてきたため、文化的にもミックスされて複雑になっている。

筆者はシェリー酒とフラメンコの取材で、スペイン南部のアンダルシア地方のヘレス・デ・ラ・フロンテラを訪れたことがある。「フロンテラ」とは、かつてこの町がキリスト勢力とイスラム勢力が拮抗する「前線」だったことを物語っている。

ちなみに「シェリー酒」は世界的に愛されている酒だが、現地では通用しない。というのも「シェリー」とは「ヘレス」の町がムスリム勢力下にあったときの呼び方「シェリシュ」に由来するからである。地元ではただの「ヘレスの白ワイン」と呼ぶ。こんなところにも、二つの勢力がせめぎ合ってきた歴史が刻印されているのである。

そんななかで育まれてきたスペイン舞踊は、「近くにあって異国情緒のあるダンス」であり、ヨーロッパの人々を魅了した。
プティパ振付の『ドン・キホーテ』やプティ振付『カルメン』など、そのものズバリのスペインが舞台のものもあるし、『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『ライモンダ』など多くのバレエ作品にスペイン舞踊は登場するのである。

次回述べるが、スペイン舞踊はコンテンポラリー・ダンスとも非常に相性がいい。というか「強固な技術体系を持ちながら、異文化にも容易に馴染んでいく適応力」こそがスペイン舞踊の最大の強みかもしれない。

その2:「遠い異国」のバレエ(想像)

●『海賊』vs実際のトルコ

ヨーロッパから遠くアジアへ旅行するのは簡単ではないにしても、交易でシルクや陶器や美術品などは入ってくる。
そのためヨーロッパでは、18世紀頃にシノワズリ(中国趣味)、19世紀にはジャポニスム(日本趣味)など、オリエンタリズム(東洋趣味)への興味は盛り上がっていった。

まずは資料と想像力を頼りに書かなければならないような「異国」を舞台にしたバレエ作品から見ていこう。
有名なのはマリウス・プティパ振付の『海賊』(1899年)だ。
海賊の首領コンラッド、ギリシャ娘メドーラ、奴隷アリのパ・ド・トロワが名高く、ガラ公演の定番である(パ・ド・ドゥで踊ることも多い)。

主な舞台はトルコの太守(パシャ)サイードの館である。

この頃のトルコは、オスマン帝国と呼ばれていた。かつてはモンゴル帝国と並び「ヨーロッパにまで版図を広げたアジアの帝国」である。
中東から紅海、地中海沿岸からバルカン諸国を併合し、東はカスピ海、西はウィーンまで迫っていたほど。
1幕でメドーラがギリシャの娘達とともに奴隷市場で売られるシーンがあるのは、この時代はオスマン帝国がギリシャを支配していたからである。

しかし『海賊』初演の19世紀中頃、実際のオスマン帝国はどうだったのだろうか。
じつはヨーロッパ諸国によって18世紀後半から進められていたトルコへの浸食、いわゆる「東方問題」が、いよいよ「仕上げ」にかかった時期なのである。

列強各国はオスマン帝国支配下にあったバルカン諸国の民族独立運動に介入してオスマン帝国の支配を弱体化させていた。
クリミア戦争(1853年)で、オスマン帝国はフランス・イギリス・サルディーニャ(現在の北イタリアのあたり)との連合軍となって、ロシアと戦った。

フランスはオスマン帝国の味方のようだが、そうではない。「大国が後ろ盾になって国内外で戦争を起こさせ、国を疲弊させて支配する」というのが植民地化の常套手段だったのだ。

『海賊』の初演は、クリミア戦争の終結の年である。フランスとイギリスが近代国家としての兵力や経済力を示して、さらにイケイケになっていた頃だった。
逆に言えば『海賊』初演時で描かれるトルコ(オスマン帝国)は、「かつて栄華を誇っていた、遠い昔の姿」なのである

●『ラ・バヤデール』vs実際のインド

『ラ・バヤデール』(1877年)はムガル帝国時代のインドが舞台。ジャーナリスト出身でバレエ評論家でもあったセルゲイ・フデコフの台本で、振付はまたもやマリウス・プティパである。兄のリュシアン・プティパもインドが舞台の『シャクンタラー』(1858年)をパリ・オペラ座で発表しており、当時のオリエントものの人気の高さがわかる。

ムガル帝国はイランやアフガニスタンにまでおよぶ広大な領土を誇り、経済的文化的にも隆盛を極めたが、16世紀から東インド会社を通してイギリスやオランダの侵略を受け、巧妙に植民地化されていた。

『ラ・バヤデール』初演の頃、実際のインドは、1857年の反英戦争であるインド大反乱のあと1858年にイギリスによって帝位が廃止され、ムガル帝国が滅亡して約20年が経った後だった。

『ラ・バヤデール』の3幕では、バレエ界屈指のヘタレ男であるソロルが、愛するニキヤを死なせた苦悩に耐えきれずアヘンで幻影の国に逃げ込む(「影の王国」)。
しかしじつは逃げ込む前のインドからして「すでに失われた国の話」だったのである
逃避するにもほどがあるぞ、ソロルよ。

●未来からの一撃

現実のムガル帝国は、もうない。必然的に、多くの部分を想像で補うことになる。
しかし時とともにその「想像」が含む誤謬が明らかになってくる。
そのいくつかは、ときに文化への無理解、差別的な表現だと映ることがある。

「過去の表現」が「未来からの一撃」を食らうことになるのだ。

2021年2月26日付けのアメリカのダンスマガジン誌でサラ・マッケンナ・バリーが『ラ・バヤデール』の神殿の踊り子の描き方に疑問を呈している。

バリーは古代インドの神殿の研究を引きながら、本来ニキヤや神殿の踊り子達は、「デーヴァダーシー devadasis(サンスクリット語で「神に仕える女性」)」と呼ばれ、学識も高く数々の特権が与えられていた。女神ラクシュミーと同一視されるほど、きわめて高位の存在だったのである(もちろん彼女たちが修めていたのはインドの伝統舞踊のバラタナティヤムであって、バレエではない)。

つまりタイトルは『ラ・バヤデール』ではなく『デーヴァダーシー』であるべきなのだ。
では『ラ・バヤデール』とは何かといえば、ポルトガル語で単なる「ダンサー」を意味する「bailhadera」をフランス風に名付けたものだという。インドは全く関係ない。

もっとも19世紀には売春婦に身を落とすデーヴァダーシーも多かった。しかしそれは(インドを植民地化する過程で)イギリスの宣教師などが「社会改革」と称して寺院への経済的な基盤を奪ったからだ、とバリーは言う。

こうしてみると、「西洋式の真っ白いチュチュを着たダンサー達が舞台一面を覆い尽くし、そのあとに神殿が大崩落を起こす」という「影の王国」のシーンは、「ヨーロッパによって瓦解させられるインド」を象徴しているようにも見えてきてしまうのである。

現在では様々なアーティストが「歴史的に正しいデーヴァダーシー」を踏まえた『ラ・バヤデール』に挑んでいるという。
だがバレエ作品の完成度としてプティパを越えるのは、当たり前だが容易なことではないだろう。

筆者も『ラ・バヤデール』を葬り去るべきとは思わない。
作品は時代とともに様々な改変が加えられるものだ。プティパも自分の演出ではほとんどトゥシューズを履かせなかったといわれており、「インド文化」へのいちおうの配慮も見える。
インドではなく架空の国に置き換えるとか、公演時には必ずエクスキューズを入れるなど、名作の魅力を減殺することのない解決策を模索したいところだ。

ただ『ラ・バヤデール』には、もうひとつ「でっかい爆弾」があるのだが、それについては後述する。

その3:「異国情緒」をディヴェルティスマンに採り入れたバレエ

●全幕バレエの醍醐味

次に「舞台はヨーロッパだが、異国情緒を作品中で効果的に生かしているバレエ」を見てみよう。

バレエにはストーリーとは関係なく、多様で短いダンスを見せるディヴェルティスマン(余興)がある。様々なスタイルのダンスを楽しめる、全幕バレエの醍醐味でもある。
ディヴェルティスマンは、なんらかのテーマに基づいて展開されることが多い。

  • 『眠れる森の美女』(1890年初演):童話の主人公たちによるお祝いの踊り
    [宝石の踊り、長靴をはいた猫と白い猫、青い鳥とフロリナ王女、赤ずきんと狼等]
  • 『白鳥の湖』(1877年初演):舞踏会での各国の踊り
    [スペイン(スパニッシュ)、イタリア(ナポリ)、ハンガリー(チャルダッシュ)、ロシア(ルースカヤ)、ポーランド(マズルカ)等]
  • 『くるみ割り人形』(1892年初演):お菓子の国で民族舞踊等
    [スペイン(チョコレート)、アラビア(コーヒー)、中国(茶)、ロシア(トレパック=大麦糖のねじり飴菓子または人型のパン等)、フランス(ミルリントン=ノルマンディー地方のタルト菓子。Mirlitonは「笛」という意味もあり「葦笛の踊り」とも言われる)等々

『くるみ割り人形』でスペインの踊りがチョコレートなのは、大航海時代にメキシコからヨーロッパへ初めてカカオ豆をもたらしたのがスペインの冒険者だといわれているため。中国のお茶は当時高級品だった紅茶のことだ。

これらは演出によってダンスが追加されたり入れ替わったりと自由度が高く、振付家の腕の見せ所でもある。 なかでも『白鳥』と『くるみ』のディヴェルティスマンには異国情緒が溢れており、楽しい。

だが『くるみ割り人形』の「中国の踊り」は、しばしば「差別的だ」と非難を浴びているのである。

「現代では差別になってしまう表現」の問題

●NYCBも演出を変えた「中国の踊り」

こうした様々な国の踊りは、旅行が今ほど手軽ではなく、情報も少ない当時の人々にとって、今の我々以上に楽しい演し物だったに違いない。

そして演出的にも「よりエキゾティックさを際立たせるために、各国の特徴を強調する必要」があったろう。だがそれは元々「よく知らない国のこと」であり、想像や妄想で補われた部分もあった。

前述したとおり、それらの表現の中には、今の基準からすると差別的・侮辱的と取られることもある
特にここ数年は様々なバレエ団が対策を表明するなど、けっこうホットな話題にもなっている。

炎上案件である『くるみ割り人形』の「中国の踊り」は、どんなものだろう。

《昔の演出の「中国の踊り」》

  • 女性が日本のゲイシャ風のカツラをかぶる
  • 男性は「フー・マンチュー風のヒゲ」に、クーリー(苦力)ハットをかぶる
  • 二人とも人差し指を立てて踊る(人差し指は「箸」「茶柱」を表しているなど諸説ある)
  • お辞儀やすり足といった「中国的な演出」が施されている

2017年、ニューヨーク・シティ・バレエがジョージ・バランシン版『くるみ割り人形』上演の際に、バランシン財団の了解を得た上で、こうした衣裳や手の動きを変更した。
多くのバレエ団も、この流れに従う動きを見せている。

日本人からすると差別的といわれてもピンとこないかもしれない。

戦前、帝劇のローシーの下で学んで浅草オペラで人気を博した高田雅夫と原せい子夫妻が欧米ツアーで人気を博した『支那人形』という作品の写真を見ると、高田はクーリー・ハットを被り、二人とも「中国の踊り」風の豪華な衣裳を着て、にこやかに両手の人差し指を立てている(拙書『ダンス・バイブル』参照)。

『支那人形』(写真提供/小針侑起。高田夫妻の帰朝公演1924年のもの)

写真にある『支那人形』は『くるみ割り人形』から約30年後のものである。
このポーズが『くるみ割り人形』によって中国を示すアイコンとして定着していたのか、あるいは『くるみ割り人形』以前からすでにあったのかは定かではない。
しかし当時の感覚としては、少なくとも高田も原も人差し指を立てる踊り方を侮辱的な表現と考えていなかったことはたしかだろう。

●「中国の踊り」の何が問題なのか

アジア人である高田と原も気にしていなかったのだから、「中国の踊り」には目くじらを立てることはないのだろうか?

一般に、「中国の踊り」は「文化をステレオタイプに描くこと」が問題だと言われる。
特にマイノリティの文化を描く場合には、そこに明確な差別の意思がなくとも、無知や無理解に基づいた表現を「使い続けること」がよろしくない。

具体的に見てみると、

《「中国の踊り」を検証する》

  • 中国、といいながら日本のカツラを被っている
  • お茶の精が意味もなく肉体労働者のクーリーハットを被っている(ヨーロッパ人がよく目にしていた低賃金労働者の姿を、中国を代表するものとして描いている)。
  • 「中国人は人差し指を立てて踊る」というのはせいぜいがヨーロッパ人の思い込みで、決して中国の舞踊の代表的な仕草ではない
  • お辞儀やすり足も笑いを誘う過剰なものが多い
  • 「フー・マンチュー」はイギリス人作家が生み出した悪人キャラで、白人社会では有名だが中国人からすると好ましい物ではない。

……つまり、本当の中国の歴史にも文化にも関係のないことを、「中国の踊り」として繰り返し上演しているわけだ

情報が少なかった時代にはしょうがなかったかもしれない。
しかし情報が行き渡ったいま、なおこうしたステレオタイプの表現を続けるのは、中国のみならず「アジアの文化なんて、適当でいいだろう」と公言しているのに等しい
じっさいNYCBでも、中国人以外のアジアのダンサー達も声を上げているのだ。

NYCBのダンサーだったフィル・チャンとジョージナ・パスコギンは、2017年のNYCBの演出変更を機に、連名で他のバレエ団へも改善を呼びかけた。ちなみにチャンは中国系、パスコギンはフィリピン系である。
そのサイトは「FINAL BOW FOR YELLOWFACE(イエローフェイスに永遠のさよならを)」

「イエローフェイス」とはアジア人に見えるよう顔を黄色く塗ることだ。黒人に見せるために黒く塗るのを「ブラックフェイス」というが、これは後で詳しく述べる。

ここで彼らは「白鳥の女王を夢見ているアジア系の若いダンサー」や「アジア系の観客」が、舞台上で「過ぎ去った時代のクーリー(肉体労働者)が、ステージ上の唯一のアジア人代表として登場」したり、アジア人が「ジョークのネタ」として扱われたらどう思うか? と問いかける。

 少なくとも「ああ、アジア人は白人から『共にバレエを愛する仲間』として受け入れられてはいないのだな」と感じてしまうのではないか。
むろんほとんどの白人は、そんなことは思っていないだろう。なればこそ「古くて誤ったステレオタイプの民族表現」は是正していこうではないか、と訴えているのである。

サンフランシスコ・バレエやピッツバーグ・バレエ・シアターなどは、「お茶」の代わりに世界中の中華街などでも親しみのある「竜の踊り」を採り入れ、京劇のメイクや衣裳の演出に変更している。もちろん竜は歴史的に中国の歴代皇帝の象徴だった。

少なからぬ変更ではある。しかし「従来版では死んでいた二人を、生きて結ばれるラストに変更する」ことも珍しくないバレエの世界では、こうした変更が作品の質を左右する恐れはほとんどないだろう。

●「誤解に満ちた名作」の数々

ただこうした無理解は、現代でもある。

ひと昔前は、欧米で日本人を象徴するイラストといえば「チビでメガネで出っ歯で首からカメラを提げている」というものだった。

日本が高度成長を遂げて社会学者のエズラ・ヴォーゲルによる『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)が出た後でも、
「欧米の知識人は、かなりの割合で、『日本は香港や上海のような中国の一部』だと思っている」
「欧米で『知っている日本人』のアンケートを採ったところ、第二位はオノ・ヨーコ(ビートルズ解散の原因と言われていた)、そして第一位はブルース・リーだった」
という話はよく聞いていたものだ。

あなたも東欧や北欧の「名前は聞いたことがあるけど……」という多くの国々、たとえばヨーグルト以外のブルガリアのことをどれだけ知っているだろうか。もっと近い東南アジアの国々について、3つ以上のトピックをいえる国はそうそうないのではないか。

かつてテレビのインタビューで「行きたい国」を聞かれて「パリとフランスとヨーロッパ」と答えた女子高生がいて軽く感動を覚えたが、好意的であっても知らないこと、誤解を招く危険は常にあるのだ

そして困ったことに、アートの世界では「誤解に満ちた名作」はけっこうある。

イギリスで作られた、日本が舞台の英国式オペレッタ『ミカド』(1885年)は、死刑大好きなミカドの廻りで起こるコメディである。登場人物である「日本人の名前」は、ナンキ・プー、ヤムヤム、ピープ・ボーなど、いろいろひどい。『Mi-ya Sa-ma』など日本風歌詞もある。ところがこれは意外にヒットしていて、世界各国で訳され上演回数も多い。ちなみに日本の首都はティティプー。

プッチーニ作曲のオペラ『蝶々夫人 マダム・バタフライ』(1904年)も名作だ。舞台は長崎。日本の令嬢蝶々さんとアメリカの海軍士官ピンカートンの悲恋(とはいえ蝶々さんは一方的に捨てられ、自害する)。三浦環の当たり役で、三浦は海外でも高く評価された。

最近ではアメリカ人作家の小説が映画化された『SAYURI(メモワール・オブ・ゲイシャ)』(2005年)がアカデミー賞三部門受賞。京都を舞台に芸者として第二次大戦へ向かう日本を描く。ただし主演は中国人チャン・ツィイー。芸者を売春婦として描いたり、主役が日本人でない(他の役では多数出ている)、着物や建物など細部がちょいちょいヘンなことも多く、論争を呼んだ。

これらに描かれてきたアジア人女性像、すなわち「従順で男性に尽くし、性的に求められれば拒まず、捨てられても恨みもせず、ときに黙って死んでいく」というイメージは、残念ながら現代にも生きている。
近年コロナ禍でアジア人女性が暴行を受ける事件が頻発したが、これは人種差別と女性差別が交差した「インターセクショナリティ(交差性)」と言われ、まさに今直面している課題なのである。

ちなみに編集部から「バレエにも日本モチーフにしたダンスがある」と聞いた。
ワガノワ記念ロシア・バレエ・アカデミー等で踊り継がれ、発表会でも人気の『人形の精(フェアリー・ドール)』である。「おもちゃ屋で人形が踊り出すディヴェルティスマン」の中に日本人形があるのだ。初演は1888年だが様々に改訂されてきた。

この「日本人形の踊り」もまた、「真っ白塗りの顔にゲイシャ風のカツラ、着物風の帯、そして馬鹿でかい扇子をバッサバッサ振り回し、短いパンツで足をバンバン上げる」と、なかなかキツイ仕上がりになっている。そしてこれを踊っているマリインスキー・バレエのマリア・ホーレワの動画には「美しい!」「ファンタスティック!」と賞賛のコメントがついているのである。

●『ラ・バヤデール』のブラック・フェイス問題

もうひとつ、物議を醸すのが『ラ・バヤデール』における「ブラック・フェイス問題」である。
「ブラック・フェイス」とは白人が顔を黒く塗って黒人として演じることだ。

先述した通り、『ラ・バヤデール』の舞台はインドである。
ロシアの名門ボリショイ・バレエでは、『ラ・バヤデール』で顔を含む全身を黒く塗って踊るシーンがある。140年以上続いている演出だが、2019年にミスティ・コープランドがこれを「無神経だ」と批判したのだ。コープランドは、アメリカン・バレエ・シアター初のアフリカ系アメリカ人女性プリンシパル・ダンサーである。

ブラック・フェイス問題は、単に「黒人のステレオタイプな表現」「黒人の役は黒人にやらせるべき」という以上の、きわめてデリケートな問題なのである。

法律的に人種差別がなくなったはずの今日でも「ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter/BLM)」運動が起こる。
ましてや奴隷制度があった頃のアメリカでは黒人は白人の所有物であり、反抗すれば殺されても文句は言えなかった。

だが1920年代からショウビジネスが巨大化するにつれ、ジャズやタップなど黒人アーティストが欠かせなくなってくる。
それでも「黒人が白人と同じ舞台に立つなどとんでもない! 黒人の役が必要ならば白人が顔を黒く塗って黒人を演じればいい」とブラック・フェイスが続けられてきた歴史がある。

現代はニコラス・ブラザーズやビル“ボージャングル”ロビンソン、ルイ・アームストロングなど優れた黒人アーティストの映像を容易に見ることができる。しかし彼らは過酷な壁を越えることができた、数少ない例外だったのである。

●では「ジゼルは白人だけが踊るべき」なのか

「しかしインド人が白かったらおかしいだろう。黒く塗るのは演出であって人種差別の意図はない。奴隷制度はアメリカの話で、ボリショイは関係ない。140年間受け継いできた歴史を棄てろというのか」
「それとも『ラ・バヤデール』はインド人ダンサーしか踊るべきじゃないとでも? ならば『ジゼル』は白人以外は踊るべきじゃないのか?」

という反論もある。

だがポイントは、「黒人は白人に活躍の場を奪われ続けてきたマイノリティだ」ということなのだ。
かつて「黒人音楽が大好きで、黒人になりたい」と顔を黒く塗って歌っていた日本人グループがいたが、いまでは許されないだろう。

「黒人差別があった国かどうか」も「善意か悪意か」も、問題ではないのだ。
「いまなお」ブラック・フェイスにすることが問題なのである。

それは家畜同然に扱われ、権利と生命を奪われ続けてきた黒人が差別と戦ってきた歴史を「無視」し、「なかったこと」にする行為だからである。
その認識が、まずは肝要なのだ。

●変わり続けることが証となる

特にヨーロッパは、ある程度以上の規模のバレエ団ならたとえ国立であっても、自分の国のダンサーだけで成り立っているところは、まずない。団のクオリティを高めようとすれば、当然そうなる。となれば人種の問題は避けられない。

映画のアカデミー賞でも「ホワイト・ウォッシュ」つまり主要な受賞者のほとんどが白人(で男性)という現状を是正しようとしている。
これは世界的な流れだといえるだろう。

2018年にイギリスの老舗の靴メーカーが、白人以外のダンサーの肌の色に合うよう、ブロンズと茶色のトウシューズを発売し「歴史的偉業」と話題になった(アメリカにはすでにあったらしい)。それまでのトウシューズは白人に似合う白かピンクしかなく、白人以外のダンサーはファンデーションを塗って自分の肌の色に合わせていたという。ずっと「ここはお前がいるべき場所じゃない」と言われ続けているような気分だったろうが、もうそんな思いをしなくてもいいのだ。

また長年「白人以外のダンサーに消極的」と批判されても毅然とそのスタイルを保ってきたパリ・オペラ座バレエも、2021年に方針を転換し「白人以外にも門戸を開いていく」と発表した。最も厚かった「ガラスの壁」が取り除かれることが期待される。

残念ながら現在でも海外に渡った日本人のダンサーが、実力は充分にもかかわらず「日本人(アジア)だから」と役につけなかったり昇進が見送られたり、「いまはカンパニーの『アジア人採用枠』がいっぱいだから」と入団を断られたといった話は多数耳にするのだが、そうした状況も変わっていくことを願う。

また、2021年6月10日現在、新国立バレエ団が12年ぶりに『ライモンダ』を上演中である。
公演自体は素晴らしく、舞台は毎回大好評で盛り上がっている。
十字軍時代のサラセン人(ムスリム勢力)であるアブデラクマンをステレオタイプの悪役としないなどの配慮は成されている。
だが「決闘の末に斬り殺されて、第3幕では後顧の憂いもなく美しく完璧な結婚祝賀会が行われる」という展開そのものには、議論が呈されてきた。

たとえばジョセフ・カーマンはアメリカのダンスマガジン誌で「エキゾチックか、不快か? バレエの時代遅れのステレオタイプはもうやめていいのでは?」と題した記事で『ライモンダ』を取り上げた(2010年6月29日付)。バレエでは戦いの多くが「善対悪」の図式であることを踏まえ、今の時代に「面倒を持ち込むイスラム教徒」というキャラクターを使い続けることに疑問を投げかけている。

これはテロなどを含め、イスラム教徒との軋轢が問題になっている国では極めて今日的な問題である。現実に生きている社会の中で、「伝統表現だから」では済まないアクチュアリティを「持ってしまっている」のだ。
これはまたブラック・フェイス問題などとはまた違う、多文化時代がもつレイヤーなのである。

だがひとつ言い添えておきたいのは、今回紹介した炎上案件に対して、そのほとんどが「違和感を感じる」「無理解だ」「居心地が悪い」という控え目な言い方で、許せない! と糾弾するようなものではないことだ。

これは人種と歴史という二つのレイヤーでの理解が必要な、微妙な問題を含んでいるので、「指摘は大切だが、過度の攻撃は表現を萎縮させてしまう」と、多くの人が諒解しているからだろう。
お互いに理解を深め、より良い関係を結ぶための方法を共に考えようとしているのだ。

いまやバレエは世界中で愛される芸術である。様々な人種が交わるのが当たり前だ。
そして古典における表現と、今日的な常識との間の軋轢は、これからも生まれてくるだろう。

しかしそれはバレエが常にその時代の人々とともに生き、成長し続ける芸術であることの、なによりの証なのである。

□ ■ □

次回は後編。コンテンポラリー・ダンスの「アップデートし続けて古びない秘密」を見ていこう!

「多文化時代のダンス(コンテンポラリー・ダンス編)~アップデートし続けるから古びない~」

★第15 回は2021年7月10日(土)更新予定です

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