バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座〈第3回・前編〉ダンスと音楽ーー知性と身体性の果てしなきバトル

“Contemporary Dance Lecture for Ballet Fans” 

Text by NORIKOSHI TAKAO

前回のテーマ「言葉」以上に、ダンスに近い存在が「音楽(音)」である。
およそ人類の長い歴史の中では、ダンスと音楽を分けて考えること自体がなかったといえる。
それは不可分の、一体化した存在だったのだ。
ところがほんの百年ほど前、その関係を引き裂く大事件が起こった

それ以降、ダンスと音楽の関係は、以前のように無邪気に協力し合うわけにはいかなくなった。
両者の間に横たわっている溝を「知ってしまったら、戻れない」のがアートの世界だからだ。

その事件とは何か。
その事件を超えて、いまのダンスと音楽はどんな関係を結んでいるのか。
今回はそれを見ていこう。

ダンスと音楽、その分かたれぬ関係

●アマノウズメも無音では踊らぬ

繰り返すが、人類の歴史の中で伝統舞踊と伝統音楽は一体化していて、無音で踊る伝統舞踊はほとんどない(宗教的に秘曲とされて演奏されないものも、あるにはある)。

なにより踊りとは第一に自分たちで踊るものだった。リズムに合わせて身体を動かすのは気持ちいい。その辺にあるものをチャカポコ叩くとさらに楽しい。
そういうアッパー系のものは、戦いの前や収穫後の祭り、あるいは宗教儀式(たとえば盆踊りはもともと乱交と表裏一体だった)などの要素が強い。高揚によるトランスが重要だ。
鼓動にリンクするようなリズム。本能にダイレクトに訴えかけるパーカッションが圧倒的な強さを持っている。

その縁の深さは、古事記にも出ている。
「日本初のダンスの記録」とされる天岩戸(あまのいわと)伝説がある。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)の狼藉に衝撃を受け、天岩戸に閉じこもってしまった太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)を誘い出すために宴会を行い、そこで天鈿女命(アマノウズメノミコト)が踊ったとされるダンスがある。胸をはだけて踊ったので「日本におけるストリップの元祖」とよく言われるが、それだけではない。

「天の岩屋戸に槽(うけ)伏せて踏み轟こし、神懸かりして、胸乳をかき出で」

とある。つまりアマノウズメは、木桶を伏せて、その上でステップを踏み、音を出しながら踊った。日本のタップダンスの元祖でもあるのだ。
つまりこの時代から、踊りとはただ踊るものではなく、やはり音楽(パーカッション)と不可分なものだったのだ。

天岩戸神社東本宮にある天鈿女命像。木桶の上で踊る仕様になっている

●動きが音を纏(まと)う『瀕死の白鳥』

では逆に、悲しい気持ちの時はどうか。もちろんしんみりしたパーカッションもあるが、やはりダウナー系に合うのは琵琶やバイオリンといった弦楽器や、笛などの管楽器だろう。長くたなびく音が、傷ついた心にフィットする。これらはダンスが舞台芸術として発展し、豊かな感情表現をする上で欠かせない物になっていった。

これにより「うれしい」「悲しい」という情報や説明的な役割は音楽に任せて、ダンサーはより深い心理の表現に集中できるようになる。

『瀕死の白鳥』も、曲を聴くだけで溌剌とした踊りでないことはわかる。しかしもしも曲がなかったらどうだろう。とても滑らかな腕の動きや背筋の見事さに、まずは目がいってしまうのではないか。
もちろん芝居のように「ううっ!」ともがいたり苦しんだりはしないので、やがて来る悲劇の結末を予感するには、時間がかかってしまうに違いない。

そして中盤以降も、あくまでも踊りとして美しさの連続性を維持しながら、徐々に死へと向かっていく。そこには弦の、長く途切れずに変化していく音が一体となって寄り添っていくのだ。

最期に息絶えるときはさらに難しい。
そのまま儚く消え入るように生命の炎が尽きていくのか。
あるいは生きることをあきらめない意思を示しながら果てていくのか。

いずれにしても最期の生命の葛藤を、美しくなめらかな旋律が慰撫していき、最期を迎えさせる。
このときの弦の響きは、ごく薄いヴェールとして見えてくるようだ。そして何枚も何枚も白鳥の身体に積み重なり、ダンスの鼓動を優しく眠りにつかせる。まさに奇跡のような最期を演出するのである。

●音ハメとアシライ吹キ

このように音楽と一体化するのはダンスの醍醐味だが、最もわかりやすいのが、一音一音に動きをはめていくいわゆる「音ハメ」だろう。
ストリートダンスではポッピングという身体の各部分を細かく弾くようなテクニックがあり、よりクリアに音との一体感をアピールできる。

ただこれがまた奥の深いところで、「音と一体化すればいいってもんじゃない」というのも真実なのだ。
いわゆるシンコペーション。ざっくりいうと、「正規のリズムを、わざとズラす格好良さ」だ。
ズレるだけなら単なる下手クソだが、ジャズの「スウィングしている」という「得も言われぬ魅力」になるのである。

ちなみにこのシンコペーション、じつは邦楽にもある。
笛なら「あしらい吹き」、太鼓では「あしらい打ち」といい、あえて流れに乗せないよう演奏するのだ。
古典、恐るべし。

もっともバレエでも歌舞伎でも、一流のパフォーマーは最後の決めポーズをとるときに、曲(や拍子木)と零コンマ数秒で必ずズレていることに見覚えがあろう。
ドンピシャで合わせることがカッコ悪いという本能的な感覚は、どの世界も共通なのか。
じっさい、その瞬間、踊りは音楽(リズム)からフッと解き放たれ、踊りの印象をクッキリと浮き上がらせるのである。

●「総合芸術」の考え方

このようなダンスと音楽の一体感を示すとき、「バレエは総合芸術」という言葉がある。バレエ・リュスのディアギレフがいっていたのは有名だが、考え方自体は以前からあった。
だがディアギレフは、当時「こんなものは音楽ではない。騒音だ!」とまで言われていたストラヴィンスキーを登用したり、バレエの身体言語を全く無視したニジンスキー作品を上演するあたり、彼の考える総合芸術は、単に全てが調和の内に溶け合うようなものではなかったことは間違いない。
ダンス・音楽・美術・照明・文学、すべてが一流の芸術で、それぞれのエネルギーが拮抗して主張し合う一触即発の状態を「総合芸術」と呼んでいたのだろう。

「音楽なしで踊る=無曲」という考え方

ここまで見てきたように、伝統における「ダンスと音楽の関係」は一心同体で、非常に良好である。
しかし百年ほど前に、特筆すべきことが起こった。
「音楽を使わないダンス」の登場である。いまでは当たり前に使われているが、ダンス史においてはけっこう革新的なことだ。

曲を使わないシーンをつい「無音で踊る」と書いたりするが、厳密に言えば環境音や吐息、足音、様々な音はしている。
ここでは「音楽なしで踊る=無曲」として、いくつかの事例を見ていこう。

●無曲1:身体の音を聞く

動く身体は、様々な音をたてる。足と床の摩擦音、ダンサーの呼吸音等々。ベルギーやオランダで活躍するアン・ファン・デン・ブローク『FF REW 60:00』(2007年)をオランダのマーストリヒトで見たときには暗闇の中で女性ダンサー達が激しく身体を床に打ち付けながら踊る音と荒い吐息だけが聞こえてきた。観客の頭の中に踊る姿が浮かび上がるまでになってから照明が上がってくる、という演出で呻らされた。
視覚を遮断して音だけに絞ることによって、普段は曲に紛れがちなダンサーの身体の生理を浮き上がらせていたのだ。もちろんダンスそのものも魅力に満ちていた。

●無曲2:環境音を聞く

劇場のような防音設備のないところであえて公演して、聞こえてくる環境音を利用することもある。
街の車の音や、自然の葉擦れや風の音、落水滴の音などなどだ。

横浜にある「象の鼻テラス」は、目の前に横浜港が広がっている。公演も行われるが公的な休憩所も兼ねているので、防音対策はべつに完璧ではない。そのためときどき公演中に外から「ボゥオゥーー」と汽笛が聞こえてくるのだが、これがまた良い音響になったりしている。

環境音としてもっとも手軽でイメージを刺激するのは自然界のものだ。川のせせらぎ、鳥の声、葉擦れの音……
自然の中でのダンスは何度も見たことがある。しかし実力のない奴が森や川のなかに半裸で立って「大自然と生命の交流」的なことをやっても、「やはり劇場で踊ってつまらない奴は、自然の中で踊ってもつまらないのだな」という当たり前のことを再確認して終わるしかない。

ただ「音に合わせるより、無音の方が踊りやすい」というタイプのダンサーは確かにいて、別項でゆっくり書くが森山開次関かおりなどはこちらのタイプだ。
外部の音楽ではなく、自分の身体の内側に独自の、そして明確なリズムを持っているのだ。うっとりと棒立ちしている馬鹿とはわけがちがうのである。

このタイプの究極といえるのが、ボヴェ太郎(ちなみに本名)である。現在は関西が拠点だが、長身に静けさをたたえた顔、長い裾の衣装で、開け放った寺の一角などで踊る。といっても、動きとしては能のようなすり足の移動で、部屋を一周して腕を上げ下ろしするだけで終わったりする。
しかし腕の下、脇の下、体幹、身体の周りにある空気の質が刻々と変わっていく。自然の大きな営みと、その力が響き合っている。極めて静かな舞台にもかかわらず、遙か遠くで鳴る大地の轟音が聞こえてくるようなダンスなのである。

●無曲3:「即時性」を採り入れる

風の音、川の音、自然の音はひとつとして同じ音はない。録音したものを流すこともできるが、本来環境音とは「いま、ここで起こっている音」、つまり「即時性のある音」ともいえる。

スマートに取り込んだのが山海塾で、上空から落ちてくる水滴や砂の音を効果的に使った。
全くの無音よりも、さやかな音があるほうが、より「静けさ」を際立たせる。
これは日本人には馴染みのある感性で、「古池や蛙飛びこむ水の音」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という松尾芭蕉の句のみならず、現代のマンガでも偉大な発明と言われる「シーン」という「無音を表す擬音」があるなど、しばしば海外から驚かれる。

またビデオカメラで外の街などをつなぎ、リアルタイムに道路を行き交う人々や車の映像や音を舞台上に流す演出もある。
これは、舞台空間が日常生活の延長にあることを示したいときに有効だ。

「即時性を活かしたダンス」という意味では、伊藤キムの『ラジオで踊る』(2004年)は、秀逸だった。
舞台上で、まさにそのとき放送されているラジオの音声を流し、それに反応して踊るのだ。内容はその日のニュースだったり明日の天気予報だったり時報だったり様々だが、その場限り。二度と同じものはない。

この「即時性」によって、「そもそもダンスは、どんなに決められた振付を再現しても、やはり一期一会のものなのだ」ということを改めて思い出させてくれる。

●無曲4:ノイズで踊る

以上とは違い、あえて耳障りなノイズを使って踊ることも多い。

もっとも「ノイズを音楽として扱う」「ノイズで踊る」ということは、百年前のダダ未来派等ですでに活発に行われていた。「アート・オブ・ノイズ(騒音芸術)」を提唱した未来派のルイージ・ルッソロは、騒音を生み出す「騒音楽器」イントナルモーリを開発した。

もっとも音楽とノイズを厳密に分けるのは難しい。
楽器ではなくても一定のリズムやメロディを奏でることはできるし、楽器でも耳障りな音を出せばノイズと言われるだろう。
この時代はまさに「運動する物は、人の身体も機関車の車輪も等しく美しい」と見なされ、ダンスでも音楽以外のものを使うのは珍しいことではなかった。
ドイツのノイエ・タンツを代表するマリー・ヴィグマン、ドイツで学んだ日本のモダンダンスの重鎮・石井漠といた人々の作品を見ても、無音で踊る・打撃音や木魚の音等で踊る、といった革新的なことは一通り行われている。

しかし日本のコンテンポラリー・ダンスで、ノイズをいち早く、しかも最も効果的に使ったのは勅使川原三郎だろう。『月は水銀』(1987年)では、舞台上で本物の板ガラスを何枚も割り、その破片の上で踊った。割れる音、蹴られる破片の音、さらに破片が細かい光を乱反射して劇場に行き渡らせた。
タイトルがズバリ『NOIJECT』(1992年)という作品もある。これは「ノイズ」と「オブジェクト」の合成語で、勅使川原自身がノイズに意識的に取り組んでいたことがわかる。背中に鉄板を貼り付け、工事用のグラインダーを押し当て、耳を聾する音と共に火花を散らせたりした。

「NOIJECT」photo by Dominik Mentzos

「NOIJECT」photo by Dominik Mentzos

「NOIJECT」photo by Dominik Mentzos

●大事件はこれから

……さてここまでいろいろ見てきた。
これらは革新的ではあるが、単に「曲を使わないで踊る」というだけにすぎない。
いわばダンスと音楽は別居しただけ
冒頭で言った、「音楽とダンスを引き裂いたダンス史上の大事件」について、いよいよ事項で語っていこう。

★第3回・後編は2020年5月11日(月)更新です!

投稿 バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座〈第3回・前編〉ダンスと音楽ーー知性と身体性の果てしなきバトルバレエチャンネル に最初に表示されました。



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https://balletchannel.jp/7554

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