◆◆レビュー評◆◆文・乗越たかお ピーピング・トム『ファーザー』

  ~個が世界と一体になった、涅槃の世界~ 

 愛や悪意や欲情が渾然となった人間の深層を描く、美しくも禍々しい世界。世田谷パブリックシアターが一貫して呼んでおり、今回は老人ホームが舞台だ。演じられる人格は、いつのまにか全く違うものに移り変わっていく。なぜなら個人の存在自体が老人ホームの世界に溶解してしまい、境目が曖昧になるからだ。だから名前などの固有名詞は出てこない。
 序盤で「鍵が紛失したので手荷物検査を行う」との放送のあと、収容者の私物は没収されてしまう。「外部」から来た裕福な父親の着ている物は剥がれ、他の収容者が着てしまい、父は「この世界」に吸収されてしまうのだ。父を施設に連れてきた息子は、「来週の月曜日には来るから」と、絶えず自分が「外部の存在」であることを強調する。

  しかしやがてステージ上の若い男から「父さん、あなたはひどい人だ」と、息子である自分が父親として指弾されてしまう。息子に父親の苦情をいう若く美しく理知的な職員とみえた女性は、みるみる狂的な笑みを浮かべて腕を血が出るまで掻きむしる。「息子」「父」あるいは「来訪者」「収容者」の境は、幾重にも溶解していくのだ。

 特に目を引くのが、身体がグネグネと曲がる不気味なアクロバットダンスである。トリッキーなようで実は戦前から続く表現主義芸術の正統な後継と言える。つまり「内面が歪んでいるから身体も歪む」というわけだ。
 この老人ホーム自体が「誰かの視点を通して『覗き見』された世界」にも見える。それはある種の甘美さを伴う。痴呆であり(恍惚の人)、変幻を続ける悪夢であり、個が世界と一体になった、いわば涅槃の世界だからである。
 本作は『マザー』『チャイルド』と続く3部作になる予定だという。続編が待たれる。

〈2017年2月27日 世田谷パブリックシアター/文・乗越たかお〉

 主催・企画制作:世田谷パブリックシアター

 

 



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